だしフォト

2019.03.06

生と死の今を残す

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プライベートで少し悲しいことがありました。
ブログに書く内容じゃないかもしれませんが、残しておきたいので書こうと思います。仕事とは関係ないお話ですが、これから大事になることだと思うので、ここに残します。

先月26日の夜に、とても仲良くさせてもらってるお家に住んでた猫のカボスが亡くなりました。

カボスは、家族以外の人が家に来ると、目にも留まらぬ速さで隠れてしまいます。私にも最初は慣れず、なかなか見ることもできませんでした。
ですが、そこまで毎日いるわけではないのに、いつの間にか触れる距離にまででできてくれるようになったカボス。

「実和ちゃんは大丈夫なんだね。珍しい。家族だと思ってんだろうね」

私の実家では、猫や犬のように触れる動物を飼ったことがありません。
そのため、私自身その取り扱いなども結構わからないというのもあり、単純にちょっと怖いというのもありました。
でも、いつのまにかテレビを見てる隣にすり寄ってきたりして、(人の家でテレビをのんびり見てるという状況も少し不思議ですが、そこはそのまま…笑)
動物慣れしていない私でしたが、カボスをきっかけに触れることのできる動物に対し、臆病にならなくなりました。

連絡のあった夜は、ちょうど寝ようと思って洗面台に立っていた時でした。
たくさん写真を撮ってたというのもあり、頭の中でカボスの写真がフラッシュバックしてしまい、涙が止まらなくなってしまいました。
最後に見たのは、数日前。
カボス〜って呼んでもじっと固まって椅子から動かなかった。
少し緊張している様子でした。
なんか気になってんだなーって思うだけで、また今度ねこじゃらしで遊ぼうと思っていました。

カボスとの最後は雨の日でした。

お別れする時もカボスの目はとても綺麗で、どこか眺めているかのようでした。その日に立ち会えたのは、偶然かもしれないけどよかった。声かけてくれてうれしかった。

「たくさん写真撮ってくれてたから」

そう言ってくれました。

写真は生を写し残す。
写真は死を写し残す。
それは過去のようで、今を写していると思う。

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自分の親のことを心配することが増えたり、知り合いの親が亡くなったり、幡野さんの写真を見て、すごく生と死のことを考えるようになりました。
そのぐらい自分が歳をとったのだということ。
死の話をすると、「縁起でもない」と言われる。
そうなんだろうか。
死を考えることは、残された人への優しさのように私は感じます。
同時に今生きているということをとても感じました。
悲しい、寂しいという気持ちはもちろんあります。
でも生きているなら、その命を精一杯生きようと、しっかり生きようと思います。

少し前から、ちょっとずつ自分に訪れる「生と死」を認識していましたが、今回のカボスとの別れと幡野さんの写真を見てたというのもあり、死と一緒に生きようと思いました。

いつどうなるかわからないから。

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