だしフォト

2020.04.18

母の誕生日

2004_0420

私は5人家族の末っ子で、父、母、姉が二人という構成。
家族で一番小さいのは母。150cmの私より小さい147cm、だったと思われる。
私の身長の小さは、おそらく親が二人とも小さいので遺伝だと思っています。
そんなちっちゃくてコロコロしている母は4/17にまた一つ歳を取りました。

母は小さいころから私の話をよく聞いてくれました。
今日は学校どうだった?と聞かれると、しばらくずっと話をしてしまって、今ならわかりますが、家事の手を止めてしまっていたんだろうと思うぐらい話をしていたと。
私が中学生になるまで、母はパートをしっかりとしていなかったと思います。それは、小学生の私が家に帰ってきてひとりぼっちになるのがかわいそうだからって話をどこかで聞いたことがありました。
ただいまー、と鍵がかかっていないドアを開けるという状況は、その当時当た
り前すぎてわからなかったけど、すごく幸せなことでした。

20歳の成人式を迎える前の秋、東京の会社に内定が決まり家族全員が喜んでくれたけど、「家を出ないといけないんだ。」と初めて伝えると、一瞬にして静まりかえりました。
案の定、父と言い合いになり自分の意見を押し通そうとしても母は悲しい顔をしながらその時も私の話をじっと聞いてくれました。
そして、「通えないの?お姉ちゃんは通うんだよ?」
と母から言われたときは強く決めたはずの気持ちが揺らいでしまったのを覚えています。
結局最後のわがままだとか言って一人暮らしをさせてもらいましたが、そうなったらなったで家族みんな応援をしてくれるから、この人たちはすごいなと思いました。

「好きなことやってちゃんと生きているから偉いよ。だからなんかあったらすぐに言いなさい。少しなら力になれるから。」
たまにする電話やLINEでよく言われる言葉。
20代前半の頃はその言葉に「大丈夫、大丈夫。なんとかやるし、できるから!」と言って心配してもらいたくないから強がっていました。
最近は素直に「ありがとう、困ったら相談するね」と自然に言えるようになりました。なんとなく、それが母を一番安心させる言葉のような気がするからです。

病気知らずで、インフルエンザにもかかったことがない母が2、3年前インフルエンザになったと父から連絡があり「私今から行く!」と言う前に電話の向こうの遠いところから「ミワに言ったら心配してすぐに行くとか言っちゃうから言わないでって言ったのに!」と怒っている母の声が聞こえて、母は自分が辛い時も娘の心配をするのかと恐れ入りました。
受話器からは呑気に笑う父の声、私が逆に安心させられてしまいました。

母が自分を産んでくれた年齢に自分が近づいていてる。その時すでに2人を産んでいたんだと思うと、なんてパワフルなんだと大人になって理解できるようになりました。いつの間にか周りの友人たちは誰かの親になっていて、自分が結構生きてきていることを実感します。
20代後半の焦りが嘘のように今はのんびりと過ごしているので、母はまた違う心配をしているようです(笑) 親はいつまでも心配がつきない。

今年の4/17も家族みんなでお祝いLINEをして、友達のように会話をしました。
数年前まで毎年送っていた母へのプレゼントもいつの間にか途切れてしまったので、仕事が落ち着いている今年はゆっくり選んで送りたいと思います。

写真は今朝の隅田川。
昨日ちょっと夜更かしをしてしまって、1時間寝坊してしまった。
今日も平熱、味覚嗅覚も通常運転。食欲もある。
いつまで続くかわからないけど、いつになれば安心できるのかとかを思わず、
このご時世で生きていくならどうするかを考える。
新しいことにチャレンジどんどんしていこうと思います。

 

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