2021.03.09
写真の日記
1年前の写真を見返してみました。
部屋の整理をしていて、実績として残していた古い雑誌の仕事したページだけ切り取っていたからなのか、過去を見たくなりました。
2020年の3月は、まだまだ二拠点準備中、というよりそうなるかもしれないとまだ妄想段階だったと思います。ちらほら豊岡の写真があったりするけど、行ったり来たりを短い間に一人で移動していました。
ずっと中学生から続けていた日記は去年から書くのをやめました。なので、細かくなにを1年前は思って過ごしていたかはわかりません。
若さもあったと思いますが、とにかくすごい感情的な内容を書いていたので、読み返しても全く心が揺さぶられず、ある時縛られていた何かに開放されたように全部処分できました。そして毎日書くのもやめました。
続けることも大事だというのもわかるけど、それで自分の首を締めているのならやめるのは逃げではない判断だと思います。日記に関してはそんなにたいそうなことではなかったですけどね。
自分が死んだ時に誰かしらがきっと部屋とかの荷物を片付けてくれると思うんですが、その時に大量の日記帳出てきて、何か歴史に残る大事な資料になるならまだしも、感情を思ったままに書いた大量のノートは、他人にとってただただ怖いだけだと思いました。
こうやってブログを書いてもいますが、毎日写真を撮っているだけでも、何を考えていたかは読み取れるような気がします。自分で撮っているからなおさら。
今日の1枚も、何をしていた時まではわかりませんが、どこにいても豊岡は空が広く、雲がいろんな表情をしているからついついシャッターを押してしまった、というのはなんとなくわかります。豊岡に好きな景色がどんどん増えていっていますね。都会で育ったシティーガールは、意外にも住めば都で順応性が高いということを最近実感しています。
このブログが日記のようなものではないか?と突っ込まれそうなんですけど、まぁ、その違いがわかるのは自分だけなので、ちゃんと受け止めます。
でも、少しは読みやすくはなっていると思っています。
今日も読んでいただきありがとうございました。