だしフォト

2018.09.25

幡野広志さんの「ぼくが子どもころ、ほしかった親になる。」を読んで

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幡野さんを知ったのはいつだろうか。

Twitterで最近フォローしてる人がリツイートしていたり、Facebookでは知り合いが幡野さんと友達だったり。その知り合いの投稿で見つけたのが、同じ専門学校出身という事実。
おなじ時代に通っていたわけではなかったので、全然知りませんでした。
けど、その唯一の共通点に単純に親近感が湧き、幡野さんのTwitterをフォローしてみたのがきっかけかと思います。

幡野さんは、現在35歳の写真家です。余命3年と宣告されました。
2歳の息子君がいる父親です。

その幡野さんが、先月1冊の本を出版しました。
「ぼくが子どもころ、ほしかった親になる。」

直接は伝えられないというのと、ネタバレになってしまうかもしれないけど、自分なりに記録の為ブログに感想を書こうと思いました。
これが何年後かに自分が見てどう思うだろうかとゆうのも、面白いかも。

しかし、昔から本読むのは楽しくて好きでしたが、万年ふつうという評価をもらい続けた国語能力の私なので、読書感想文的なものはもちろん上手ではありません。自分なりに、30歳という年齢で思うことをここに残してみようと思ってます。

近所の本屋さんには置いておらず、とにかく読みたかったのでネットで購入しました。届いた時、ちょうどパソコン作業の途中で、あと少しだったので終わってから読むことに。
でもその前に、せっかくの真っ白な表紙を汚したくなかったのでページを開く前にカバーを外そうと開いたら、
そこには唯一の1枚の写真が単色で刷られていました。
まだ、全然内容読んでいないのに、すごい鳥肌がたつ。
きっと、幡野さんのTwitternoteを読んで少し前知識があったからのもあるけれど。

でも、これが写真のチカラなんだなと強く感じました。

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本にはとても良い文章がたくさん綴られていて、
感想を書くためにメモ代りで良いページをスマホで撮影して何度も読み直しました。その中で、印象に残った文章をここに残そうと思います。

「人の目を気にせず、自分の経験をしたほうがいい。
    それがきっと、自信につながる。」

これをすることは、多くの人にとって勇気だと思います。

人間って同じ意識だったり、考えだったり選択したことが正解というように思われることが多い。だから自分がそう思っていなくても、他人からの目に気を使い、見えない大きなものに背中を押されて、みんなと同じ方向へ。
みんなと同じ意見だと、本当に思っているならそれはそれでいいと思う。

この場合、あくまでも自分の考えを押し殺してまで意見を変えるという時。
学校で一人でいると、いじめられてると勘違いされるから誰かとつるんだり。周りも心配して一緒にお弁当食べようと言ってくれたり。
その環境が全てで成り立っていたから、そこでうまくいかないと全てダメだって思っていました。
学生時代の私は、人と合わせすぎても嫌われたり、人と違うことして煙たがられたりと、人とうまく付き合うのが苦手だったようです。

その時にこの本に出会っていたら、生き方が違ったのかもしれない。

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1分でも1秒でも長く生きてくれ」と願うことは、本当に優しさなんだろうか。
「自分が悲しくなりたくないから生きてくれ」という意味も含まれる。
幡野さんは友人からの電話さえも辛くなり、携帯の番号を変えてしまうほどになってしまったと。その他にもたくさん変な電話があったという。

もしかしたら自分勝手だと思う人もいるかと思う。人が心配しているのに、、、と思う人もいるかもしれない。
でもそれは価値観の違いだから、その人も無理に付き合わなくていいと思う。
自分が生きる環境によって友達は変わっていく、
その時に会いたい人に会えればいい。
フリーランスだから言えることかもしれないけど。
無理して会うことはない。
つき合う人を選べるフリーランスという立場だから、無理して嫌いな人に会わなくていいかなって。
そう考えてみると、とても楽になりました。

「いくら好きなことでも、仕事に自分の全てを注ぎ込むのはやめたほうがいい。」
私も写真を撮ることを仕事にしていて、ライスワークとライフワークのバランスはまだまだ安定しません。
先のことはわからない。いきなり仕事がぱったりなくなるかもしれない。
でも、ごはんを食べれないと、やりたい写真も撮れない。
作りたい作品の為に、好きな写真を撮るために稼ぐ。
わかっていたことだけど、どちらかに集中してしまうとバランスが崩れてしまう。フリーランスだから、よそがどんな風に仕事して生活してるのかが全然見えてきません。
一つひとつ丁寧に仕上げたいと思うと、ついつい周りが見えなくなってしまう。
もう少し俯瞰して見えるようになりたいです。


「いい写真」ってなんだろう、って疑問は、もう何十年も考えている。
その人それぞれに、価値観は違う。だから良いと思う写真をみんな違う。

でも幡野さんが
「撮影者の伝えたい気持ちが正しく伝わる写真のことなんんだと、ようやく気づいたのだ。」

もうこれに尽きると思う。
なんども読み直し、書かれてることが嘘じゃないか確認しました。
そう思わない人もいるかもしれない。
でも少なくとも私はこの感覚に共感できます。
私もトライ&エラーをして、正しく伝わる写真を追求していきたい。

自分がこどもの頃の大人はどう見えていたのだろう。

幡野さんのように何か疑問をもっていただろうか。何かに反抗したり、意思を持って動いていただろうか。
自分の過去を少し思い出してみました。
反抗もせず、怒られるのが怖かったから忠実に先生の言ったことは聞いていました。ただの臆病者だったんだと思います。
けど、自分のやりたいこととか、好きなことに対しての反抗はすごく強かったかと思います。それに対し、両親は押さえつける発言などは一切しませんでした。

だから今私は好きな写真を仕事にして生きていられているんだと思います。

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いつ無くなるかわからない明日を、今を好きに生きよう、
そう思いました。
これから親になる人も、親になってる人も、
男女とわず、読んでもらいたい。

「理解できないのなら、想像することからはじめるといい。」

私はまだ親ではないけれど、もし今後そうなる時が来たら、この言葉を自分のこどもに言ってあげたい。
この本を読んで、何か少しでも自分の気持ちと向き合えたら、そんな人が増えたら、もう少し世の中は優しくなると思う。

私にとってなんだか、信じていたことに対し、大丈夫だよって背中を押されたような本でした。

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