2020.04.14
思い出の品、撮影いたします
いきなり汚い靴の写真でごめんなさい。
昨日書いた「過去からの脱却」から引き続き部屋の整理が止まりません。
出てくる、出てくる思い出の品達!なんでこんなに物が多いのか?
過去の自分がわかりません。
さて、この汚い靴はきっとわかる人はすぐになんの靴なのかがわかると思います。そう「バッシュ」です。バスケットシューズを略して「バッシュ」。
もう「バッシュ」という言葉を発するのが懐かしすぎて恥ずかしいぐらいです。
小学2年から高校3年の春までずっとバスケ生活でした。
父と姉の影響を受け、ミニバスのチームに入部。いつのまにか父はチームの監督になり、私が小学生を卒業してから20年経つ今でも同じチームの監督をしています。
このバッシュは高校3年の引退試合からもう10年以上まともに履いていません。アシックスのオールジャパンだったかな?GELシリーズというちょっとかっこいいローカットのバッシュがすごい流行っていたんですが、くるぶしにどうもあたって痛くて履けない私は、結局昔からスタンダードなハイカットをずっと使っていました。
バッシュはバスケの命のようですごくすごく大切にしていました。
当時、バスケ部の間だけではなく高校生全体的にミサンガが人気でした。
私たちより前に大ブームになってたとは思いますが、どうやらまた再熱した時代だったようで、色々と編んではチームメイトと交換したり、他の部活の子に応援の一つとして贈ったりしていました。
高校のチームカラーは水色。両足の紐には水色の刺繍糸が入ったミサンガが結ばれててお守りのようにしていました。誰が編んでくれたのかは忘れてしまいました。
汗で滲んでしまった内側には中学の先生が教えてくれた言葉。
「努力の上に花が咲く」。中学時代の顧問の先生がいつも言っていたこの言葉に中学時代はもちろん高校時代も救われました。
大人になってもこれを思い出し「大丈夫だ、大丈夫」と自分に言い聞かせたのをおぼえています。
実家を出て12年の間に引越しは4回。クラブチームなどに入って定期的にバスケを続けていたわけでもないのに引越し作業の度、いつかバスケをするから、また履くだろうと思ってずっと持っていました。
しかし、散々思い出は語れるのに、残念なことにこのバッシュを履いたのは、覚えている限りではこの12年で1度だったと思います。
「懐かしい」という思いをするためだけにどんどん劣化させてしまっていることになんだか申し訳ないという気持ちと、「いつかバスケをするから、また履くだろうと思っていたから」という言葉が「いつかバスケをしないといけない、また履かないとダメ」というような考えになっていたのに気がつきました。もはや呪い。自分の思い出が未来の自分にずっとそうやって呪いをかけていくようで手放すことを決意しました。
以前「タイムカプセル写真館」というイベントを行ったことがあります。
知らない人にとってはなんでもない物ですが、エピソードがあるだけで見方が変わります。しかし、形あるものは壊れるという言葉があるように使っても使わなくても劣化していきます。手放す時悲しくならないように、ありがとうと思えるように思い出の品を撮影しておこう、という企画でした。
まさに、です。自分で考えた企画を自分でやってみました。
思う存分シャッターをきって、最後袋にしまって感謝を述べました。
寂しさがあまりないのが不思議で、変な感覚です。
むしろちゃんと考えて手放すことで、気持ちがどんどん楽になっているように思います。
撮影のあと、少し皮なのかゴムなのかちょっと変な匂いが手に残っていて、
臭い、と思いつもにやけている自分がおかしかったです。
こんなご時世で撮影の仕事はないけども、なんだかんだ毎日シャッターを切れていて安心をしています。
劣化度にもよりますが、思い出の品を撮影する依頼なんかをはじめようかな。
もしご興味あるかたはお問い合わせフォームからぜひ。
最後なんか宣伝になってしまいました。
今日も体温は平熱。風邪症状もなし。味覚、嗅覚も大丈夫。
家での撮影は続きます。